【GLASS : #06】神々しい美しさ。ステンドグラスが知りたい!欲しい!

こんにちは。はじめに骨ありき、Mr.Tボーンです。「マテリアルジャーニー」ガラス編第6回。第5回では国内における板ガラスの歴史を追いました。

そうした中で、数あるガラス製品の中でも特に古い歴史を持つガラスがあると気付きました。それがステンドグラス。ステンドは長い歴史を持ち、特に西洋では人々の生活や思想に深く関わっていました。今回はステンドグラスを特集し、国内外でどのように使われてきたのかをご紹介します。

ステンドグラスには、どのような歴史があるのでしょうか。さっそく見ていきましょう。

ステンドグラスの始まり : 必要から生まれたガラス

シャルトル大聖堂のステンドグラス

フランス、シャルトル大聖堂のステンドグラス

ガラス編第1回でも書きましたが、板ガラスの製造が始まったのは4世紀のローマ帝国時代と言われています。

しかし当時は手吹き工法だったので、作成できる大きさに限界がありました。そのため窓ガラスとして使うには、ガラスを繋ぎ合わせる必要があったのです。これを色ガラスで行ったものがステンドグラス。つまりステンドグラスは、板ガラス製造の始まりと同じタイミングで誕生したのです。

そして、鉛線を引いて繋ぎ合わせるステンドグラスの技術は、9世紀ごろに確立されたそうです。

布教ツールとしてのステンドグラス

ステンドグラスと聞くと、色とりどりのガラスでキリストや聖母マリアを描いたものが思い浮かぶのではないでしょうか。そのイメージ通り、ステンドグラスは中世のキリスト教会において数多く使われ、技術的には完成の域に達したと言えます。

ステンドグラスが教会で活発に使われた理由は、より効果的に布教を行うためだと考えられます。当たり前ですが、聖書は書物です。文字が読めなければ、神もイエスも聖母マリアも分かりません。中世の庶民層には、文字を読める人がそれほど多くありませんでした。

そこでステンドグラスを用いて聖書の物語を絵にすることで、字が読めない人にも聖書の内容を分かりやすく伝えようとしたのでしょう。

そしてもう1つ重要な役目がありました。それは演出です。

聖ローレンツ教会のステンドグラス

ドイツ、聖ローレンツ教会のステンドグラス

教会で聖書の読み聞かせをする際に、ステンドグラスは聖書の言葉に説得力を与える役目を担ったと推測できます。

ステンドグラスを通して太陽の光が差し込み、その光の下で神父が読み聞かせる。芸術的なガラスを通して降り注ぐ光が、人々に主の降臨を想起させたことでしょう。

例えば新約聖書には以下の記述があります。

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。 (中略) もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

日本聖書刊行会『聖書 新改訳 二版』いのちのことば社、1984年、426頁

西洋においてステンドグラスが、キリスト教を布教するための重要な役割を担ったことは想像に難くありません。

日本におけるステンドグラスの歴史

日本に初めてステンドグラスが輸入されたのは、慶応元年 (1865) に長崎大浦天主堂へ送られた「十字架のキリスト」像だとされています。明治になると「文明開化」により、西洋の文化をとにかく何でも仕入れようという世相の中でステンドグラスが注目されました。そして日本人のステンドグラス作家の先駆者となる、2人の人物が現れたのです。

2人の先駆者 : 宇野澤辰雄と小川三知

宇野澤(沢)辰雄 (1867~1911) は「日本のステインドグラスの創始者」と呼ばれる人物。明治19年 (1886)、政府主催の「ベックマン貸費留学生」に参加し、ステンドグラスの技法を学びました。3年後の明治22年 (1889) に帰国、翌23年に「宇野澤ステンド硝子工場」を開きました。

代表的な仕事としては、司法省や海軍省 (明治27年)、大審院 (明治29年) などがあります。有名な国会議事堂のステンドグラスは、宇野澤の直系の流れを汲む「宇野澤組ステインドグラス製作所」などによって作られました。

もう1人、小川三知 (1867~1928) は明治33年 (1900) にアメリカへ渡り、ステンドグラスと出会いました。10年に及ぶ修業の後に帰国。「小川スタヂオ」を開業し、ステンドグラス制作を始めました。

彼の有名な作品は、慶応義塾図書館旧鳩山邸 (鳩山会館)日本基督教団安藤記念館などがあります。

このように後世の作家に多大な影響を与える作品を残した、宇野澤辰雄と小川三知。2人は日本のステンドグラス史の端緒を開いた作家なのです。

現代のステンドグラス

箱根、彫刻の森美術館のステンドグラス

箱根、彫刻の森美術館のステンドグラス

現在は日本でも多くの場所でステンドグラスが使われています。教会や結婚式場はもちろん、学校や幼稚園、美術館、ホテル、はたまた神社仏閣にも。住宅に取り入れている人々もいますし、取り入れたいと考えている人も、特に女性で多く見られます。[佐藤和美 online : http://www.ssu.ac.jp/media/stained-glass.pdf

とは言えステンドグラスは今も昔も手作業で作るため、値段が高価。花より団子な私などは手を出しづらい感覚があります。現にステンドグラスは売り上げが景気に左右される商品であり、懐に余裕がある人でなければ難しいでしょう。

しかしステンドグラスが欲しいという人自体は多い。そうした状況を受けて、ステンドグラスの新しい形が生まれました。

次世代のステンド製品 : ニューステンド

ニューステンドの窓

「ニューステンド (ステンドグラス風ガラス)」は、言うなれば「機械生産したステンドグラス」。従来の製法は複数のガラスをカットして鉛線で繋ぎ、組み合わせるもの。しかしニューステンドでは、1枚のガラスに専用の機械を使ってデザインしていきます。機械化されたため大量生産が可能になり、従来のステンドグラスよりも安価になりました。

価格は安くても、デザインの美しさは従来のステンドグラスに見劣りしません。リビングや踊り場などに設置すれば、日常生活が華やぎますね。今やステンドグラス (ニューステンド) は、一般家庭でも普通に使うことができるのです。

▼ニューステンドの詳しい製法はこちらのページをご覧ください。
現代版ステンド!「ステンドグラス風ガラス」の製作工程 | OOKABE GLASS

▼また、ニューステンドの種類については下記ページでご紹介しています。
価格別!オススメ人気「ステンドグラス風ガラス」 | OOKABE GLASS

まとめ : ステンドグラスはまだまだ発展途上

ステンドグラスは西洋で発展し、近代になって日本に持ち込まれました。そしてニューステンドという選択肢も生まれ、徐々に普及しつつあると感じます。

新たな製造技法が生まれたことでデザインの幅も広がり、様々な好みに対応できるようになってきました。ステンドグラス制作の技術自体は既に完成していますが、デザインという発想の分野はこれからも進化していくことでしょう。

ステンドグラスにニューステンド。皆様もご自宅を美しいガラスで彩ってみませんか?

ステンドグラスの歴史まとめ

  • ステンドグラスの技術が確立したのは9世紀ごろ。
  • ステンドグラスは中世の西洋において、キリスト教を布教するために教会へ設置された。
  • 日本では明治時代、宇野澤辰雄と小川三知が先駆者となってステンドグラス制作を始めた。
  • 現在では「ニューステンド」という新しいステンドグラスもある。

▼ニューステンドは下記サイトにて販売しています。
ステンドグラス窓.COM

参考一覧

(最終閲覧日 : いずれのサイトも2018年1月15日)

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